営業時間 午前10時 〜 午後10時
休館日 毎月第1水曜日(1月と5月は第2水曜日)
『ラムネ温泉館』の物語は、とある文豪の言葉から始まりました。
時代小説「鞍馬天狗」で一躍有名となり、ノンフィクションや批評、現代小説、児童文学、戯曲など多岐にわたる活躍をした横浜出身の作家・大佛次郎先生。1934年(昭和9年)に発表した大分県下各地の紀行文「繪の國豊前豊後」の中で、大佛先生は長湯温泉の炭酸泉を体験し、
「全身にくまなく細かい気泡がくっつく。手でこすり落としても気泡はあとからあとからくっつく。まるでラムネの湯だね」と表現してくださったのです。
紀行文により、長湯温泉が世界へと発信されてから40年後、この先生の言葉から名がついた『ラムネ温泉』は、木造の小さな建屋で営業をスタートしました。
くる日も来る日もこんこんと湧き続ける炭酸泉。そこに、長湯温泉をこよなく愛す作家の赤瀬川隼、原平先生を通じ、東京大学の名誉教授で建築家・建築史家の藤森照信先生が訪れます。このラムネの湯と藤森先生の出会いが、現在の『ラムネ温泉館』誕生のきっかけとなりました。
藤森先生を通じて、路上観察学会の先生方(嵐山光三郎先生・松田哲夫先生・南伸坊先生・林丈二先生・赤瀬川原平先生)のお力添えも賜りながら、設計は藤森先生に、ロゴやキャラクターデザインは南伸坊先生に依頼。
2005年8月5日、かくして世界に誇る長湯温泉『ラムネ温泉館』は誕生したのです。
現在、大の猫好きである大佛次郎先生にちなんで、『ラムネ温泉館』では猫たちも一緒にお客様をお出迎えしています。
大正から昭和の初めにかけて、世界屈指の炭酸泉を求めて、田山花袋、北原白秋、種田山頭火、与謝野鉄幹・晶子夫妻…など、記録に残されているだけでも多くの文人らが長湯を訪れ、当時の情景を歌に詠んでいます。
昭和31年には春陽会の重鎮である洋画家・高田力蔵先生が長湯温泉『大丸旅館』に逗留。美しいくじゅう連山や久住高原を愛した高田先生は雄大な山の姿を美しく描きました。また、高田先生の友人であり、ノーベル賞作家・川端康成先生も、画伯の招きに応じ、竹田に訪れています。
その川端康成先生が残した言葉に「有由有縁」というものがあります。
~人と人、人とものごととの出会いに偶然はない。すべて理由があって縁を結んでいるのである~という意味です。
その教えに導かれるように、当館には多くの美術作品が集まっており、併設の美術館で展示されています。
2011年には川端康成先生が熱心に求めたとされる浦上玉堂作・国宝『凍雲篩雪図』を収めていた木製の箱が、財団法人川端康成記念会より当館に寄託されました。
『ラムネ温泉館』が、時空を超えて「有由有縁」の世界を体現する磁場となり、そしてまたここから新たなストーリーが生み出されようとしています。